宝物殿ギャラリー

刀剣

現在保存されている刀剣は31口で、そのうち国宝1口・重要文化財14口・ 重要美術品1口があります。これらは、当社が徳川幕府の崇敬者たる性格上、歴代の将軍及びその世嗣たちが初宮詣で、または自身が将軍宣下の奉告参拝、さらに特殊の崇敬の下に社参されたときに神前に奉納されたものです。

太刀 銘 則宗

附糸巻太刀拵・長二尺五寸九分一厘 国宝 
(12月~1月・6月~7月公開予定)

この太刀は、正保三年六月六日徳川徳松君の初宮参りの折に寄進されたもので、徳松君は三代将軍家光公の第四子で、のちの五代将軍綱吉公である。則宗は鎌倉初期の刀工で福岡一文字派の祖であり、後鳥羽院御番鍛冶の 一人である。福岡一文字というのは、備前国福岡に在住したからの称呼で、細身の腰反りの高い上品な姿は平安時代の趣を伝え、小丁子に小乱という古雅な出来である。

「則宗」現存はすこぶる稀でありこの太刀はその白眉である。附属太刀拵は江戸初期の製作である。

附糸巻太刀拵・長二尺五寸九分一厘1 附糸巻太刀拵・長二尺五寸九分一厘2 附糸巻太刀拵・長二尺五寸九分一厘3 附糸巻太刀拵・長二尺五寸九分一厘4

太刀 銘 国綱

附糸巻太刀拵・長二尺二寸九分 重要文化財 
(2月~3月・8月~9月公開予定)

この太刀は延宝九年六月十五日将軍綱吉公が将軍宣下の初めての祭礼にあたって奉納されたもので、附属太刀拵は江戸中期の製作である。

国綱は山城国粟田口派の刀工で、その兄国友・久国等は後鳥羽院御番鍛冶に列せられている。国綱は鎌倉幕府の要請によって鎌倉に移住し、相州鍛冶の開拓者となった。

附糸巻太刀拵・長二尺二寸九分1 附糸巻太刀拵・長二尺二寸九分2 附糸巻太刀拵・長二尺二寸九分3 附糸巻太刀拵・長二尺二寸九分4

太刀 銘 師景

附糸巻太刀拵・長二尺三寸三分 重要文化財
(4月~5月・10月~11月公開予定)

この太刀は宝暦十年十月六日徳川家治公が将軍宣下の奉告参拝の折奉納されたもので、付属太刀拵は江戸中期の製作である。

師景は備前長船派の刀工であり、俗に小反備前と称せられる南北朝期の作である。この刃文を魚の目と云い、この時代に流行を見る。従来師光と伝えられていたが、「光」ではなく「景」である。

附糸巻太刀拵・長二尺三寸三分1 附糸巻太刀拵・長二尺三寸三分2 附糸巻太刀拵・長二尺三寸三分3 附糸巻太刀拵・長二尺三寸三分4

朱印状

当社は徳川幕府の直轄神社であった関係上、家康以降歴代の将軍が朱印状をもって神領を寄進し当社の維持運営に寄与されました。

徳川家康の時代に城内に5石、秀忠の時代に100石、そして家光に至り600石に加増された神領は、そのままに幕末まで至りました。

徳川家康 朱印状

城内に5石の寄進 天正19年11月

徳川家康 朱印状

徳川秀忠 朱印状

武蔵国浅生(麻布)郷に百石の寄進 元和3年11月13日

徳川秀忠 朱印状

徳川家光 朱印状

合計六百石の寄進 寛永12年6月17日

武蔵国麻生(布)郷に百石、多末郡(多摩郡)堀之内村に百九十七石余、阿佐ケ谷村に百八十七石余、天沼村に百十九石余。

徳川家光 朱印状

錦絵

千代田御表 山王祭礼上覧

楊洲周延 筆 昭和33年 中沢村人殿 奉納

楊洲周延は幕末から明治期に活躍した浮世絵師です。歌川国芳、豊原国周の門下で、美人画や風俗画に優れた作品を多数残しています。
赤や紫といった色調を好み、鮮やかな色彩の浮世絵で人気を博しました。

千代田御表 山王祭礼上覧

江戸風俗十二ヶ月之内 六月 山王祭

楊洲周延 筆 昭和45年 銀座渡辺規殿 奉納

江戸風俗十二ヶ月之内 六月 山王祭

紙本著色 源氏物語明石・澪標図 六曲屏風

千代田区文化財 英一蝶 作 昭和36年 徳増英三郎殿 奉納

江戸時代中期の画家である英一蝶(本名・多賀信香)は、市井の風俗を描く人気絵師でした。
小品が多い一蝶の作品の中で、屏風絵の作品は珍しく、貴重な名品です。

紙本著色 源氏物語明石・澪標図 六曲屏風 紙本著色 源氏物語明石・澪標図 六曲屏風