日枝神社の広報誌「山王」の通巻133号の中から
一部特集を抜粋して紹介いたします。
広報誌の全編は山王ギャラリーからご覧いただけます。
著江戸祭禮研究
山瀨一男
天皇陛下御即位奉祝
平成三十年は、今上陛下が即位されてから三十年の節目の年でありました。日枝神社山王祭も、各地の産子各町が『今上陛下即位三十年奉祝』の旗などを掲げ、全国で同様の奉祝祭礼が行われたことが記憶に新しいです。
さて、今上陛下は本年四月三十日をもって、皇太子殿下に御譲位なされます(践祚)。そして、本年十一月の大嘗祭(天皇即位後に行う最初の新嘗祭。天皇一世に一度だけ行われる祭)が、皇位継承の印として国内外に示される即位の礼となるのです。
明治以降、天皇陛下の即位とともに、国民は盛大な奉祝行事を行ってきました。特に皇居のお膝元である東京では、その規模は非常に大きなものとなっています。
- 明治四年十一月十七日
明治天皇大嘗祭 豊明節會 - 大正四年十一月十日
大正天皇御即位奉祝 - 昭和三年十一月六日
昭和天皇御即位奉祝 - 平成二年十一月十四日
今上陛下御即位奉祝
このように新天皇の即位に際し、東京市民はこぞって御即位奉祝を行いました。その模様は、大正天皇即位時の記録(東京市役所発行の「御大禮奉祝志」や「記念写真葉書」に基づく記述)をもとに紹介されます。
大正天皇の即位の儀は、大正四年(一九一五)十一月十日に京都御所紫宸殿で行われ、同十四日の大嘗祭に合わせて、東京・皇居前馬場先門附近に巨大な『萬歳奉祝門』が建てられました。

また、東京市奉祝会場は上野公園に設けられました。

東京の中心部各所には、様々な奉祝門が建てられました。例えば





他にも、四谷、下谷黒門町、本郷三丁目などにも奉祝門が建てられていました。
また、桜田本郷町、土橋、新橋、今川橋、神田橋、両国橋、京橋南鍋町、下谷稲荷町、浅草雷門などの通り沿いには、豪華なイルミネーション付きの装飾が施され、特に日本橋から銀座にかけての中央通りでは、夜間も煌々と明かりが灯されました。
その中央通りを中心に、特別仕様の市電「花電車」も十台ほど走り、華を添えました。この花電車は、かつての天下祭の曳き物の流れを汲むものと考えられています。



さらに、江戸名物『天下祭の山車』も御仮屋を建て展示されました。以下の各エリアで展示が行われています
日本橋際・日本橋西河岸
「武内宿禰」

日本橋通一丁目
「神功皇后」

また、魚河岸では「弁財天」も展示されました。
神田鍛冶町付近では、
・鍛冶町の「小鍛冶」、旭町の「龍神」、
・堅大工町の「飛騨内匠」

・豊島町の「豊玉姫」、通新石町の「徳歳神」

・須田町の「関羽」、佐久間町の「素戔嗚尊」

外神田仲町付近では、
旅籠町一丁目の「翁」や、台所町の「石橋」、
そして旅籠町二丁目の「和布苅神事」が見られました。


なかでも、魚河岸では『祝大典』の際、半纏をまとい江戸橋から馬場先門へと黒牛が曳く山車行列が奉祝されました。

その他、山車曳きの記録としては、日本橋区中洲町の「鳳凰」、三田六ヶ町の「渡辺綱」「神武天皇」「楠木正成」「牛若丸」ほか四本(子供用新造)、京橋区南鍛冶町の一本、芝区西久保八幡町の山車数本などが、馬場先萬歳門へと進み奉祝されました。


大正初期には町神輿も多く造られていました。日本橋檜物町では神輿が出され、馬場先門にて萬歳奉唱。深川八幡産子町からは三十九基、牛島神社産子町からは八基、亀戸天神産子町からは六基、鳥越神社産子町からは十二基の神輿が次々と馬場先門へ渡り、同じく萬歳奉唱が行われました。


また、赤穂義士の仮装行列や、奉祝旗・提灯行列なども各地区から組まれ、馬場先門へ向かってお祝いされました。麹町区では、半蔵門外に国旗装飾塔が建てられ、四谷見附に至る大通りには紅白三段の幔幕が張り巡らされ、東京市中は一変しました。
その最中、京都行幸に向かう陛下の車駕が、馬場先萬歳門を通御されました。

東京市中、特に馬場先門附近の雑踏や興奮は、想像を絶するものがあります。なお、御大礼の前年である大正三年(一九一四)には、欧州で世界大戦が勃発し、江戸時代の鎖国を解いた後、明治期を経て近代国家となった日本は、連合国側に加わることで名実ともに世界の一員となりました。そんな国際情勢の中で、大正天皇の即位奉祝が行われたのです。改め、日本の勢いを感じさせる出来事でした。
平成五年(一九九三)六月九日、皇太子殿下のご結婚に伴い、午後にはご成婚パレードが実施され、同時刻に山王氏子・日本橋九段の神輿数基が、日本橋から新橋まで神輿渡御を行いお祝いされたことも、多くの人々の記憶に残っています。
このたび、皇太子殿下が天皇陛下に即位されるにあたり、御大典の日に『皇城の鎮』たる日枝神社氏子、東京都民、そして日本国民は、いかなる奉祝行事でこの喜びを祝うのでしょうか。
日本橋住人記す